宮川香山 「登り窯」を写した古写真
皆さん、おはようございます。
今日はアメリカで発見した、明治時代に撮影されたと思われる貴重な古写真をご紹介したいと思います。
この古写真は、真葛窯の「登り窯」を撮影した最も古い写真である可能性があります。
写真のタイトルを見てみますと、
台紙には、[ Porcelain Kilns Yokohama Japan ] とあり、「横浜の窯」だと書かれています。
皆さんもご存じのように、明治時代の横浜には多くのやきもの工場がりました。
しかし、眞葛窯以外の井村や田代などの工場は、素地を瀬戸などから取り寄せて、絵付けを行い焼き付ける工場であったため、登り窯を併設した工場はありませんでした。
横浜では、他に土からやきもの作りを行っていた窯として井上良斎の窯がありましたが、三代良斎が横浜に移り住んだのは大正期です。また、現存している良斎の登り窯(大正13年築造)と写真の登り窯を比べると明らかにその大きさが異なっていることがわかります。
三代井上良斎の登り窯(大正13年築造) 横浜市南区役所H.P.より
つまり、横浜でこれだけの大きな規模の登り窯を備えた窯というのは、初代宮川香山の真葛窯しか存在しないのです。
写真の登り窯が、真葛窯の登り窯であるという確証を得るべく精査中ではありますが、そうであれば、かなり初期の真葛窯を写した大変貴重な古写真ということになります。
ということは、写真のこの人物は、、、、
香山先生かもしれませんね、、、笑。
今日もブログを見て頂き、有難うございました。
眞葛 博士
今日はアメリカで発見した、明治時代に撮影されたと思われる貴重な古写真をご紹介したいと思います。
この古写真は、真葛窯の「登り窯」を撮影した最も古い写真である可能性があります。
写真のタイトルを見てみますと、
台紙には、[ Porcelain Kilns Yokohama Japan ] とあり、「横浜の窯」だと書かれています。
皆さんもご存じのように、明治時代の横浜には多くのやきもの工場がりました。
しかし、眞葛窯以外の井村や田代などの工場は、素地を瀬戸などから取り寄せて、絵付けを行い焼き付ける工場であったため、登り窯を併設した工場はありませんでした。
横浜では、他に土からやきもの作りを行っていた窯として井上良斎の窯がありましたが、三代良斎が横浜に移り住んだのは大正期です。また、現存している良斎の登り窯(大正13年築造)と写真の登り窯を比べると明らかにその大きさが異なっていることがわかります。
三代井上良斎の登り窯(大正13年築造) 横浜市南区役所H.P.より
つまり、横浜でこれだけの大きな規模の登り窯を備えた窯というのは、初代宮川香山の真葛窯しか存在しないのです。
写真の登り窯が、真葛窯の登り窯であるという確証を得るべく精査中ではありますが、そうであれば、かなり初期の真葛窯を写した大変貴重な古写真ということになります。
ということは、写真のこの人物は、、、、
香山先生かもしれませんね、、、笑。
今日もブログを見て頂き、有難うございました。
眞葛 博士
眞葛ミュージアム 9月3日まで写真撮影が可能に
9月9日より「初代宮川香山 遺作展 ~初代から二代へ~」開催
初代宮川香山 遺作展
~初代から二代へ~
宮川香山 眞葛ミュージアムでは、平成29年9月9日(土)より、「初代宮川香山 遺作展 ~初代から二代へ~」を開催致します。
今回の展覧では、初代宮川香山の「遺作」の作品群にスポットを当てます。
文化の都である京都に生まれ、日本一の貿易港となった横浜で明治を代表する陶芸家となった初代宮川香山が、”生涯を通じて目指したもの” について探ります。
初代宮川香山は大正5年、享年75でこの世を去ります。
しかし没してもなお、初代の作品を求める声も多く、眞葛窯では初代が亡くなる直前に製作した作品や、参考品として窯で大切に保管されてきた作品を「遺作」として世に送り出すことになります。それらの作品は、息子の二代宮川香山が自らの筆で初代の遺作であることを記した共箱に納められました。現存する「遺作」の作品群は、初代から二代へと遺され、継承された眞葛窯の伝統を知る上でも大変貴重な資料となっています。
本企画展では、豊富な「遺作」コレクションを一堂に展示すると共に、初代の跡を継いだ二代宮川香山の名品も数多くご覧頂きます。
初代の精神を見事に受け継いだ二代の妙技も存分にお楽しみください。
宮川香山 眞葛ミュージアム
館 長 山本 博士
~初代から二代へ~
宮川香山 眞葛ミュージアムでは、平成29年9月9日(土)より、「初代宮川香山 遺作展 ~初代から二代へ~」を開催致します。
今回の展覧では、初代宮川香山の「遺作」の作品群にスポットを当てます。
文化の都である京都に生まれ、日本一の貿易港となった横浜で明治を代表する陶芸家となった初代宮川香山が、”生涯を通じて目指したもの” について探ります。
初代宮川香山は大正5年、享年75でこの世を去ります。
しかし没してもなお、初代の作品を求める声も多く、眞葛窯では初代が亡くなる直前に製作した作品や、参考品として窯で大切に保管されてきた作品を「遺作」として世に送り出すことになります。それらの作品は、息子の二代宮川香山が自らの筆で初代の遺作であることを記した共箱に納められました。現存する「遺作」の作品群は、初代から二代へと遺され、継承された眞葛窯の伝統を知る上でも大変貴重な資料となっています。
本企画展では、豊富な「遺作」コレクションを一堂に展示すると共に、初代の跡を継いだ二代宮川香山の名品も数多くご覧頂きます。
初代の精神を見事に受け継いだ二代の妙技も存分にお楽しみください。
宮川香山 眞葛ミュージアム
館 長 山本 博士