今日は、大正5年時点での真葛窯の職人の数などについて触れたいと思います。
「現在の職人は、画工7人、轆轤3人、彫刻2人、窯その他5人にて一年間に使用する粘土は滋賀、愛知、佐賀等十五貫入りのもの500俵なりと云うをもって、需要の大なるを知るべし」と記載されています。
大正5年は、明治期の全盛期に比べれば低い製造量だったと思われますが、それでも相当の規模を誇っていたものと思われます。
また、この記事から改めて真葛窯が、分業制による工房の性格を持っていたことが明らかになります。
今日もブログを見て頂きありがとうございました。
真葛 博士 (マクズ ヒロシ)
2008-11-26 01:16
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