眞葛ミュージアム お客様からのお言葉
皆さん、こんにちは。
三代宮川香山作 昭和20年干支盃
先ほどミュージアムスタッフより、本日ご来館頂いたお客様から次のようなお話をうかがったとメールが届きました。
「先日、三代目の宮川香山さんは横浜大空襲で亡くなられたのだと知りました。 当時、その窯があった所から300メートルも離れていない付近に住んでいて、空襲を経験したことを思い出しました。」
そして、当時お客様が12歳のとき、戦争でどのように生き延びたのかを詳しくお話しされ、窯があった辺りや横浜の話を聞かせて下さったそうです。
「あのとき、窯があったことは子供だったので知らなかったけれど、展示されていた作品があの年、あの窯で作っていた物で、三代目やそのご家族、お弟子さんが亡くなられたことを知って、とても胸が痛くなりました」とおっしゃっていたそうです。
このお客様も、横浜大空襲で本当に辛い思いをされたのだと思います。
私もこのお話しを聞いて、とても胸が痛くなりました。
私が眞葛焼にスポットを当て、ミュージアムを運営しているのも、実は横浜の偉大な先人に対する”供養”のような気持ちもあります。
今日は改めて手を合わせました。「私たちは、今でもあなた方の製作された作品に心を打たれています。決して忘れていません。」
今日もブログを見ていただき、ありがとうございました。
眞葛 博士
三代宮川香山作 昭和20年干支盃
先ほどミュージアムスタッフより、本日ご来館頂いたお客様から次のようなお話をうかがったとメールが届きました。
「先日、三代目の宮川香山さんは横浜大空襲で亡くなられたのだと知りました。 当時、その窯があった所から300メートルも離れていない付近に住んでいて、空襲を経験したことを思い出しました。」
そして、当時お客様が12歳のとき、戦争でどのように生き延びたのかを詳しくお話しされ、窯があった辺りや横浜の話を聞かせて下さったそうです。
「あのとき、窯があったことは子供だったので知らなかったけれど、展示されていた作品があの年、あの窯で作っていた物で、三代目やそのご家族、お弟子さんが亡くなられたことを知って、とても胸が痛くなりました」とおっしゃっていたそうです。
このお客様も、横浜大空襲で本当に辛い思いをされたのだと思います。
私もこのお話しを聞いて、とても胸が痛くなりました。
私が眞葛焼にスポットを当て、ミュージアムを運営しているのも、実は横浜の偉大な先人に対する”供養”のような気持ちもあります。
今日は改めて手を合わせました。「私たちは、今でもあなた方の製作された作品に心を打たれています。決して忘れていません。」
今日もブログを見ていただき、ありがとうございました。
眞葛 博士
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