眞葛香山 開国後はじめて国賓として来日した国王
アメリカのオバマ大統領が来日中です。
皆さんは、幕末に日本が開国し、はじめて国賓として来日した国王が誰であったかご存じですか?
それは、ハワイのカラカウア王でした。
1881年(明治14年)3月4日、世界一周の旅に出たカラカウア王は、最初の訪問国である日本に到着しました。
カラカウア王は、明治政府に対して日本を訪問することを事前に告げずに、いわば内緒で日本を訪問しました。
しかし、サンフランシスコからの電信で事前にそれを察知した明治政府は、カラカウア王を国賓として迎える準備をしていました。
カラカウア王を乗せた船が横浜港に入港すると、停泊中の船は次から次へと礼砲を上げました。
横浜港には礼砲の音が響き渡ったそうです。
そして日本の軍楽隊は、カラカウア王自らが作詞した「ハワイポノイ」(現在のハワイ州歌)を演奏して、歓迎したのです!
カラカウア王は、事前に何も告げずに訪問したにも関わらず、自分が作った曲で盛大に出迎えられたことに、涙を流し感激したそうです。
横浜に上陸したカラカウア一行は、明治天皇により伊勢山離宮に案内されました。
伊勢山離宮は、横浜港を見下ろす丘の上、伊勢山皇大神宮の隣にありました。
歓迎式典が開催された後、夜には横浜港で花火も打ち上げられ、カラカウア王を歓迎したといいます。
現在、伊勢山離宮の跡地には、グランドメゾン伊勢山というマンションが建てられており、残念ながら当時の面影は失われてしまっています。(現在の横浜市西区宮崎町で桜木町駅から紅葉坂を登った所です)
ところで、カラカウア王が日本を訪問したとき、ハワイはまだアメリカの州の1つではなく、独立した王朝でした。(実はカラカウア王の世界旅行は、王朝としての独立を守るためのものでもあり、天皇家とハワイ王朝との縁談を提案し縁戚関係にしようとしたりしているのですが、そのお話はまた別の機会に、、、、。)
そんなカラカウア王が住んでいたのが、ハワイオアフ島のイオラニ宮殿です。
アメリカに現存する唯一の宮殿です。
先日、このイオラニ宮殿に眞葛焼の調査に行って参りました。
このイオラニ宮殿には、多くの明治の工芸品が調度品として使用されているのです。
芝山ですね。
そして、陶磁器も、、、、
京薩摩ですね。
七宝も、、、。
錦光山ですね。
残念ながら眞葛焼を発見することはできませんでしたが、多くの明治の工芸品を見ることができました。
話は元に戻りますが、明治14年にカラカウア王が国賓として来日した際、カラカウア王の前で、梅若実らにより能「猩々」が演じられました。
衰退していた能が、再び演じられるようになってきた時代です。
明治14年の第二回内国勧業博覧会には、初代宮川香山は能「猩々」をモチーフにした噴水を出展したことは以前のブログで書かせて頂きましたね。 → http://kozan.blog.so-net.ne.jp/archive/20091223
今日は、国賓として迎えられたカラカウア王とイオラニ宮殿について書かせて頂きました。
今日もブログを見て頂き、有難うございました。
眞葛 博士
皆さんは、幕末に日本が開国し、はじめて国賓として来日した国王が誰であったかご存じですか?
それは、ハワイのカラカウア王でした。
1881年(明治14年)3月4日、世界一周の旅に出たカラカウア王は、最初の訪問国である日本に到着しました。
カラカウア王は、明治政府に対して日本を訪問することを事前に告げずに、いわば内緒で日本を訪問しました。
しかし、サンフランシスコからの電信で事前にそれを察知した明治政府は、カラカウア王を国賓として迎える準備をしていました。
カラカウア王を乗せた船が横浜港に入港すると、停泊中の船は次から次へと礼砲を上げました。
横浜港には礼砲の音が響き渡ったそうです。
そして日本の軍楽隊は、カラカウア王自らが作詞した「ハワイポノイ」(現在のハワイ州歌)を演奏して、歓迎したのです!
カラカウア王は、事前に何も告げずに訪問したにも関わらず、自分が作った曲で盛大に出迎えられたことに、涙を流し感激したそうです。
横浜に上陸したカラカウア一行は、明治天皇により伊勢山離宮に案内されました。
伊勢山離宮は、横浜港を見下ろす丘の上、伊勢山皇大神宮の隣にありました。
歓迎式典が開催された後、夜には横浜港で花火も打ち上げられ、カラカウア王を歓迎したといいます。
現在、伊勢山離宮の跡地には、グランドメゾン伊勢山というマンションが建てられており、残念ながら当時の面影は失われてしまっています。(現在の横浜市西区宮崎町で桜木町駅から紅葉坂を登った所です)
ところで、カラカウア王が日本を訪問したとき、ハワイはまだアメリカの州の1つではなく、独立した王朝でした。(実はカラカウア王の世界旅行は、王朝としての独立を守るためのものでもあり、天皇家とハワイ王朝との縁談を提案し縁戚関係にしようとしたりしているのですが、そのお話はまた別の機会に、、、、。)
そんなカラカウア王が住んでいたのが、ハワイオアフ島のイオラニ宮殿です。
アメリカに現存する唯一の宮殿です。
先日、このイオラニ宮殿に眞葛焼の調査に行って参りました。
このイオラニ宮殿には、多くの明治の工芸品が調度品として使用されているのです。
芝山ですね。
そして、陶磁器も、、、、
京薩摩ですね。
七宝も、、、。
錦光山ですね。
残念ながら眞葛焼を発見することはできませんでしたが、多くの明治の工芸品を見ることができました。
話は元に戻りますが、明治14年にカラカウア王が国賓として来日した際、カラカウア王の前で、梅若実らにより能「猩々」が演じられました。
衰退していた能が、再び演じられるようになってきた時代です。
明治14年の第二回内国勧業博覧会には、初代宮川香山は能「猩々」をモチーフにした噴水を出展したことは以前のブログで書かせて頂きましたね。 → http://kozan.blog.so-net.ne.jp/archive/20091223
今日は、国賓として迎えられたカラカウア王とイオラニ宮殿について書かせて頂きました。
今日もブログを見て頂き、有難うございました。
眞葛 博士
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