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真葛焼の魅力 陶画(絵付け)とそのルーツについて

みなさん、今晩は~。

街の中も、すっかりお正月の雰囲気がなくなって、スーパーではもう節分の商品の案内を出しているところも、、。ときの流れは本当に早いですね~。

さて、今日は宮川香山の「絵付け」について、書かせて頂きたいと思います。

後期の真葛焼作品の魅力は、何といってもその「絵付け」につきると思います。


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オックスフォード大学 アシュモリアンミュージアム 所蔵



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初代宮川香山作 「宮川香山 眞葛ミュージアム」寄託作品





初代宮川香山は、明治30年に設立された「横浜陶画協会」に名誉会員として参加し、後にその会頭に就任します。

横浜陶画協会は、明治32年に、来賓としてかの岡倉天心を迎え、春季品評会を開催します。(このときの天心の演説がとても興味深いのですが、それはまた別の機会に、、。)

そして明治33年には、組織を全国規模のものとすべく、名称を「日本陶画協会」と改めます。

陶画協会へ会頭として参加していたことからも、初代香山がいかに「陶画」、絵付けというものを重視していたかが窺えると思います。

後期の釉下彩作品に優美な絵付けや、染付の山水画などを見ていると、眞葛焼の魅力はやはり絵付けにあると実感します。

さて、そんな香山の絵付けのルーツはどこにあるのでしょう。

僕は、そのルーツの一端は、やはり「東山義亮(ぎりょう)」にあると思うのです。

「九歳のときとも十二歳のときともいわれるが、香山は、双林寺の大雅堂義亮に就いて絵と書を学ぶことになった。病弱な香山の将来を案じた父長造の配慮だったようであるが、ある日、師の義亮から筆洗いを作るよう命じられた香山は、白焼で作った筆洗の底に竜の浮彫を施し、墨汁ゆらめく水の底に白龍が見え隠れするよう工夫して、義亮から大いにその着想をほめられたという。」(「宮川香山と横浜眞葛焼」二階堂充著 より)

皆さんは僕が以前義亮について、書かせて頂いたのを覚えて下さっていますか?
http://kozan.blog.so-net.ne.jp/2009-01-22-2
http://kozan.blog.so-net.ne.jp/2009-01-23

義亮は、眞葛ケ原の双林寺の画僧ですが、その交友関係などからもより注目されるべき人物であると思っています。(余談ですが、大英博物館にも義亮の絵が収蔵されています。)

明日も、香山の絵の師匠、双林寺の義亮について、引き続き書かせて頂きたいと思います。



今日もブログを見て下さい、有難うございました。

眞葛 博士











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