真葛香山 金玉山?!
皆さま、こんばんは~。
今日は本当に寒かったですね。ですので、夕ごはんは鍋焼うどんを食べました。あったまりますね~(笑)
今日は、金玉山について書かせて頂きたいと思います。
「こんぎょくさん」とは、双林寺の山号です(笑)
一度聞いたらすぐ覚えてしまいそうですね~。
初代宮川香山は、幼少時代、京都真葛ケ原の金玉山双林寺の画僧 義亮に絵と書を学んでいました。
現在の本堂の付近は、このような感じです。
義亮は、池大雅の弟子であった月峰を父に持ち、また頼山陽の門人でもあり、卓越した技量をもった画僧でした。
義亮 1846年 涅槃図(部分) 眞葛博士蔵
この涅槃図は、1846年に描かれた作品ですので、ちょうど香山が絵を習いに来る少し前くらいに書かれたものです。
ところで皆さんは、「涅槃図」がどのようなものかご存じでしょうか。
涅槃を大時泉で調べますと、
「煩悩(ぼんのう)の火を消して、知慧(ちえ)の完成した悟りの境地。
一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。
仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。」とあります。
つまり、お釈迦様の死を描いた絵ではあるのですが、それは悲劇的な、縁起の悪い絵というわけではないのです。
もっとしっかりと、「涅槃図」の意味を知りたいと思い、これは双林寺の当代の和尚様に聞くしかない!ということで、早速お尋ね致しました。
すると、本当にご親切に説明して下さり、さらに改めてメールで文章の形でも頂いてしました、、、。
**涅槃図**
釈迦が入滅(死去)したときの図である。
釈迦が横たわり弟子たちが悲しんでいる様子が描かれている。
釈迦は「仏法を依りどころとし、自らを依りどころとせよ」と最後に遺言された。
命日である2月15日には、全国の寺で涅槃図を掲げ法要が営まれ、釈迦の教えと威徳を偲ぶのである。
双林寺 野竿智敬
和尚様、本当に有難うございました!
金玉山双林寺のホームページはこちらです。現代的でとても親しみやすいページになっています。
http://www.sourinji.com/
そして皆さまにニュースがあります。
1月15日から行われる「宮川香山 眞葛ミュージアム」の展示替えでは、初代香山の絵付けのルーツの一端に迫るべく、義亮の作品2点(涅槃図と花鳥画)を、初代香山の絵と共に展示することになりました!
ぜひ楽しみにしていくださいませ。
義亮は、1865年66歳でこの世を去りました。
初代香山はその5年後、1870(明治3)年29歳のときに京都から横浜へ移住し、後に世界で評価される人物となりました。
義亮は、香山の成功をその目で見ることなく、この世を去ったわけです。
天国の義亮は、きっと、自分の孫の成長を見守るように、香山の活躍をとても喜んで見ていたことでしょう。
今日もブログを見て下さり、有難うございました。
眞葛 博士
今日は本当に寒かったですね。ですので、夕ごはんは鍋焼うどんを食べました。あったまりますね~(笑)
今日は、金玉山について書かせて頂きたいと思います。
「こんぎょくさん」とは、双林寺の山号です(笑)
一度聞いたらすぐ覚えてしまいそうですね~。
初代宮川香山は、幼少時代、京都真葛ケ原の金玉山双林寺の画僧 義亮に絵と書を学んでいました。
現在の本堂の付近は、このような感じです。
義亮は、池大雅の弟子であった月峰を父に持ち、また頼山陽の門人でもあり、卓越した技量をもった画僧でした。
義亮 1846年 涅槃図(部分) 眞葛博士蔵
この涅槃図は、1846年に描かれた作品ですので、ちょうど香山が絵を習いに来る少し前くらいに書かれたものです。
ところで皆さんは、「涅槃図」がどのようなものかご存じでしょうか。
涅槃を大時泉で調べますと、
「煩悩(ぼんのう)の火を消して、知慧(ちえ)の完成した悟りの境地。
一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。
仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。」とあります。
つまり、お釈迦様の死を描いた絵ではあるのですが、それは悲劇的な、縁起の悪い絵というわけではないのです。
もっとしっかりと、「涅槃図」の意味を知りたいと思い、これは双林寺の当代の和尚様に聞くしかない!ということで、早速お尋ね致しました。
すると、本当にご親切に説明して下さり、さらに改めてメールで文章の形でも頂いてしました、、、。
**涅槃図**
釈迦が入滅(死去)したときの図である。
釈迦が横たわり弟子たちが悲しんでいる様子が描かれている。
釈迦は「仏法を依りどころとし、自らを依りどころとせよ」と最後に遺言された。
命日である2月15日には、全国の寺で涅槃図を掲げ法要が営まれ、釈迦の教えと威徳を偲ぶのである。
双林寺 野竿智敬
和尚様、本当に有難うございました!
金玉山双林寺のホームページはこちらです。現代的でとても親しみやすいページになっています。
http://www.sourinji.com/
そして皆さまにニュースがあります。
1月15日から行われる「宮川香山 眞葛ミュージアム」の展示替えでは、初代香山の絵付けのルーツの一端に迫るべく、義亮の作品2点(涅槃図と花鳥画)を、初代香山の絵と共に展示することになりました!
ぜひ楽しみにしていくださいませ。
義亮は、1865年66歳でこの世を去りました。
初代香山はその5年後、1870(明治3)年29歳のときに京都から横浜へ移住し、後に世界で評価される人物となりました。
義亮は、香山の成功をその目で見ることなく、この世を去ったわけです。
天国の義亮は、きっと、自分の孫の成長を見守るように、香山の活躍をとても喜んで見ていたことでしょう。
今日もブログを見て下さり、有難うございました。
眞葛 博士
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