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香山の秘蔵弟子 井高帰山と帰山窯

前回は、香山が創設した幻のやきもの「三笠焼」について書かせて頂きました。

今日は、香山が三笠窯を立ち上げる際、現地入りし試焼を成功させた門人、井高帰山について書かせて頂きたいと思います。

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井高帰山(いだかきざん 1881 ( 明治14 )~ 1967 ( 昭和42 )87歳没)


井高は、香山の「秘蔵弟子」の一人でした。

井高は兵庫県の出身で、明治32年、淡路島の津名郡立陶器学校を卒業、兵庫県出石陶磁器試験所で技師をしていましたが、真っ白な白高麗をやくことができる腕をもっており、明治36年8月頃、香山に引き抜かれる形で門人になったと言われています。

初代香山は新しい技術をどんどん取り入れて、真葛焼を進化させていたのですね。

香山は、井高をとてもかわいがりました。

井高は香山の弟子になってからは、香山の「香」の字をとって、井高香渓と名乗りました。

井高家には、一枚の領収書が残されています。

初代香山が香渓に買い与えたハイカラーのシャツとフロックコートの領収書で、明治38年11月28日、金二十九円五十銭、宛名は、「井高香渓」ではなく、「宮川香渓」と書かれています。

まるで自分の本当の子供のように、可愛いがっていたのでしょうね。
(香山とは、40歳ほど年の差がありましたから、孫のようだったのかもしれません。)

香渓は、香山の命で軽井沢に赴き、三笠窯に従事しながら、明治41年3月頃まで香山の弟子として活躍しました。

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その後香渓(井高帰山)は、真葛窯を離れ、友田安清が創設した金沢市(九谷)の日本硬質陶器株式会社で働くことになります。(井高は、友田の娘と結婚します。まさに陶芸家系になりますね~)

後に東京に戻った井高帰山に、大正10年頃再び軽井沢の三笠ホテルの創業者山本直良から声がかかります。

三笠窯は、大正5年初代香山の死でいつしかその幕を閉じていました。

山本から、「もう一度三笠焼を復興させたいので、軽井沢に来てもらえないだろうか」と声をかけられるのです。

井高帰山は、再び軽井沢へ向かい三笠焼改め「阿さま焼」を立ち上げるのです。(お土産品として求めやすいやきものが多かったようです。)

三笠焼も阿さま焼も、火山噴出物の軽石を原料に混ぜ焼成するのが特徴です。

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写真のような作品以外にも、九谷で茶陶づくりを行ってきた帰山は、数は少なくも本格的な茶陶もやいていたとのことです。


井高帰山の息子、二代帰山は次のように語っています。

「父帰山は、(中略)次のようなことは話していた。香山翁は芸術上のことのほか、仕事や日常の規律のようなものには到って厳しく、徒弟たちは翁をあだ名して「もーりん(巡査のこと)」とか「ジャンジャン」とかの呼称を口にした。「ほーれ「もーりん」が来なはった。」などと告げ合った。翁は、仕事が思うに任せなかったり、督励をしたりするとき、下げた両手を握って尻を叩きながら、注意やら励ましやらを、京都弁でちょっと押し出すような調子でして巡ったそうである。一方徒弟の可愛がりかたは無類で、親許、親類をはなれ故郷を遠く隔てた者たちには、時には親に時には神仏に見えた事もあるだろう。割合と待遇も良く、決してよそに気を反らせるようにしなかった。」
(二代井高帰山 「香山先生のことなど」 読売新聞社 宮川香山展 図録 )

また、インタビューで「初代帰山さんから、真葛香山のお人柄とかお聞きになっていますか。」と尋ねられた際、次のようにも語っています。

「 四六時中聞かされました。特に香山先生が言われたことは、何か焼きものを頼まれたときに「これは俺の所ではできない」というものがあってはいけない。 辰砂(しんしゃ)でも、青磁でも染付でも、下絵の色入のようなものでも、信楽、丹波、備前、九谷、例えば色絵のものとかを注文してきても最高のものをつくりなさい。

(中略)大手のスーパーでも、つぶれないようにするにはニーズを考えますね。ニーズがなければいけない、と香山先生は言われる。今の時代に ぴったりしている。だからすべてやる。しかも、一流のものに仕上げなければいけない。そういうことを言われたそうです。 」
(有隣 第403号より)

香山が時代のニーズに敏感で、常に最高の技術でそれに答えようとしていたことがわかりますね。


さて話を、井高帰山に戻しましょう。

大正5年、まさに初代香山が亡くなった年、帰山は東京の目黒区に窯を築きます。

その名も「帰山窯」。

実はその帰山窯は川崎市に場所を移し、今でも帰山の孫、井高通(とおる)さんにより継承されているのです!

とおるさんは、僕と同い年、1969年昭和44年生まれです。

昨日もお電話でお話させて頂きました(笑)

何だか年が近いと、安心してお話しできます。


窯のホームページはこちらです。

http://kizangama.com/

陶芸教室の情報も掲載されていますよ(笑)

実に素晴らしいおじいさまを持っていて、うらやましいです!

(ちなみに僕のおじいさんは、明治時代箱根登山鉄道の運転手さんでした。木製の鉄道運行免許証が残っているそうです。あっ、、、そんなことは誰も聞いてないですね、、、笑)


僕の夢ですが、いつか初代香山の玄孫さんと、初代帰山のお孫さんとで平成の再会を果たして欲しいです(笑)



今日もブログを見て頂きありがとうございました。


眞葛 博士








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mayumi

土を捏ねたい、と辿ってきたらこちらにたどり着きました。実は私は30年以上前に目黒区の帰山窯の近くに住んでいて、二代目井高帰山師の陶芸教室に通いながら、そこであつかましくもアルバイトもしていた者です。こちらのブログで、一代目帰山師の歴史を初めて知りましたが、歴史の積み重ねで今があるのですね。その頃未だ小学生だった通さんは大変お行儀がよくて暖かい心の、賢い子供さんでしたよ。川崎で窯を持っていらっしゃるとか---。伺ってみようかしら。
by mayumi (2014-10-14 19:27) 

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