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宮川香山 小松帯刀との面会を語る

皆さんは、NHKの大河ドラマ「篤姫」をご覧になっていましたか?

僕は毎週かかさず見ていました(笑)

今日はドラマの最終回でしたが、小松帯刀が病気で大阪の病院に入院し、そして亡くなってしまうシーンがありました。

帯刀がちょうど入院している頃、香山は大阪の病室に赴き、薩摩行きについて相談しようとしていたのです。

これは香山自身が語っています。

今日はその記事をご紹介したいと思います。

明治44年 美術新報 第202号と204号からの抜粋です。

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「ソレカラ小松サンを訪ねて見ると病気で大阪の病院へ出養生をして居られるとの事で、私は病院の寝室で御目に掛かつたりなど相談できる寸前に」と、香山は、大阪の病院で、薩摩行きについて帯刀に相談する寸前であったことを語っています。

明治時代の美術雑誌ですが、こういう文献は本当に貴重な資料になります。

それにしても、「帯刀に会い、薩摩へ行こうと夜逃げ同様にして虫明を出てきた」という話や、「その時分の横濱は鬼が住むか蛇が住むかトテモ人の住む所ではないくらいに思われていた」というくだり、、(笑)

とてもおもしろいですね。


今日もブログを見て頂きありがとうございました。

真葛 博士






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