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宮川香山 香山作品に池大雅の影響は見られるか?

京都、真葛ヶ原で生まれ育ち、後に横浜に窯を開き、世界的に評価された宮川香山。

香山は幼少の頃、双林寺 義亮に絵と書を習っていました。

大雅堂は、池大雅の遺作を飾った美術館のようなところで、義亮は、大雅堂二世こと月峰を父に持ちます。

香山は、「池大雅派」の先生に南画(文人画)を習っていたことになります。

この数日、池大雅の作品や作風についていろいろと調べていますが、結論から言って、

香山作品の中には、池大雅の影響を受けているものがあると言ってよいと思います。

taiga photo.jpg「池大雅肖像」 (二世池大雅 月峰画)

池大雅の画風や特徴が、初代香山の山水や人物描写などの絵付けの中に見受けられるからです。

明日は、この池大雅の絵の特徴などについて触れたいと思います。

今日もブログを見て頂き、ありがとうございました。

真葛 博士




参考:池大雅について。

「大雅は享保8年(1723)京都の生まれ。姓は池野氏、名は無名、大雅、玉海などと号した。
 若くより絵を志し、柳里恭(りゅうりきょう)や祇園南海に学んだほか、中国の画論や画譜を通じて独学で南画を研究した。また禅を修行し、日本全国を旅行した。こうして生まれつきの超俗的な性格と相まって、むぞうさな画法で人物や風景を詩的に表現する独自の文人画を大成した。
 代表作に黄檗(おうばく)山万福寺の約30面のふすま画などがある。30才の頃、祇園町の娘、町と結婚し洛東真葛ヶ原に草庵を建てて住んだ。
 妻町も玉瀾(ぎょくらん)と号する画家として有名。夫妻とも、数々の奇行が伝えられている。安永5年(1776)大雅は54才で歿し遺言により当寺に葬られた。上京区寺ノ内通千本東入新猪熊町(浄光寺)」(池大雅の墓所 駒札より)

「大雅は享保8年(1723)京都に生れ、若くから絵に志し、生れつきの天真らんまんな性格と相まって独自の文人画を大成した。また書も独特の趣(おもむき)がある。妻も玉瀾(ぎょくらん)と号する画家で、この近くに草庵を結んで夫妻ともに画業にはげんだ。この地はもと雙林寺(そうりんじ)の境内で、住職謙阿もよく大雅の面倒をみ、大雅はここに筵(むしろ)をしいて絵を売ったという。 大雅・玉瀾の没後、門人相まって、木下長嘯子(ちょうちょうし)の歌仙(かせん)堂の遺構を大雅ゆかりのこの地に移して遺品や書画をあつめ、子供のなかった大雅の遺風を伝えるため大雅堂とした。 しかし明治36年公園拡張のため取りこわされ石碑を残すのみとなった。遺品もまた散失したが、大雅堂に安置されていた大雅念持の観音像や「大雅堂」の扁額等は池大雅美術館(西京区松尾)に保存されている。東山区鷲尾町 」(大雅堂跡 駒札より)

主要作品
国宝 山水人物図(高野山 ・遍照光院)襖絵
国宝 楼閣山水図(東京国立博物館)六曲一双
国宝 十便十宜図のうち十便図(川端康成記念会)画帖

重要文化財 前後赤壁図(個人蔵)六曲一双
重要文化財 陸奥奇勝図(九州国立博物館)巻子
重要文化財 西湖春景・銭塘観潮図(東京国立博物館)六曲一双
重要文化財 柳下童子図(池大雅美術館)八曲一隻
重要文化財 倣王摩詰漁楽図(京都国立博物館)掛幅
重要文化財 蘭亭曲水・龍山勝会図(静岡県立美術館)六曲一双
重要文化財 五百羅漢図他(京都・萬福寺)襖絵
重要文化財 洞庭赤壁図巻(ニューオータニ美術館)巻子
重要文化財 十二月離合山水図(出光美術館)六曲一双
重要文化財 瀟湘八景図(東山清音帖)(個人蔵)扇面10枚
重要文化財 白雲紅樹図(承天閣美術館)掛幅
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