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宮川香山 片仮名「マクス」の作品

皆さん、おはようございます。


初代宮川香山の作品だと思うのですが、客観的にそれを裏付ける証拠が見つからない作品群があります。

それが、この片仮名で「マクス」の印を持つ作品群です。

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「マクス」という印の近くに、丸に「ホ」という印もあるのが特徴です。

この印が押された作品をこれまで6点確認しましたが、清朝のやきものを意識した絵付けを施した作品が比較的多い印象を受けます。

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宮川香山 眞葛ミュージアム保管  個人蔵


フランスで発見し里帰りさせた作品です。

他には、こんな作品も、、、。

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やはり、「マクス」に「ホ」の印が押されています。



「マクス」印を持つ作品群に関しては、初代宮川香山が明治3年に横浜に移住した後、明治4年に大田村に本格的な窯を築く前に花屋敷(今の野毛山)で製作していたものだともいわれていますが、それを裏付ける客観的な証拠資料がなかなか見つからないのです。



他に可能性としては、


1.眞葛窯が他の窯に素焼きした素地(ボディー)を卸し、他の窯で上絵付が施されたものである。

2.横浜に移住する前の京都時代の作品である。

3.眞葛窯が沈壽官などの他の窯に素焼きした素地(ボディー)を発注し、仕入れし製作したものである。(2017/7/15 知人骨董商Fさんの意見により追記)

4.そもそも眞葛窯とは関係のない窯の作品である。


などが考えられると思います。

「マクス」の印を持つ作品の絵付けが、眞葛窯の絵付けと少し異なるようにも感じられることから、1 の素焼きのボディーを他の窯に卸した可能性もわずかながら残ります。

以前のブログで眞葛窯が瓢池園に素地(ボデイー)を卸していたことについては触れました。
→ http://kozan.blog.so-net.ne.jp/2014-04-06
同様に、例えば「保土田」などのように、素地を仕入れて上絵付だけを行う窯に、眞葛が素地(ボディー)を販売していたものではないかと考えられるわけです。(もし保土田なら、「ホ」は保土田のホかもしれませんね、、、笑)
素地(ボディー)を卸していたということであれば、絵付けのテイストが異なってくることも説明が付くと思います。

また、2の京都時代の作品である可能性や、花屋敷時代の作品である可能性も否定できません。個人的にはその可能性が高いと思っています。

4については、横浜移住当初は土探しに奔走していたということや、実際に沈壽官窯には眞葛窯に素地を販売していた資料も残っていることから、やはりその可能性も検討する必要があると考えます。



この問題を解明するには、「マクス」印が押された作品で、製作年や作者について客観的な証拠となる箱書きや資料を伴ったいわゆる「基準作」が発見されることが必要だと考えています。

鋭意そのような資料の発見に努めているのですが、その客観的な証拠資料がなかなか見つからず、「マクス」印の作品だけが手元に残っていく、、、そのような状況になってしまっています。

そして、もしもこれらの作品群が宮川香山の作品ではなかったら、、、、、、そう考えるとゾっとするのです。、、、笑。



今日もブログを見て頂き、有難うございました。

眞葛 博士



P.S. 前回、明治10年の第一回内国勧業博覧会について触れました。
実は先日、年に一度神田で開催されている「七夕古書大入札会」に、その写真帖が出品されているのを発見しました。

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初代香山の出品作が5点、比較的大きな写真で納められており、その裏には作品ごとに詳細な解説まで書かれていました。同様の資料は東京国立博物館にも収蔵されているのですが、研究用に入手したいと入札に参加しました。

結果は、、、残念ながら購入することはできませんでした。最終的な落札価格は、約50万円にもなったとか、、、。やはり貴重な資料はそれ相応の値段になるのですね、、、。