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宮川香山 新発見の「蟹」作品 (渡蟹水盤)

重要文化財に指定されている初代宮川香山作 『褐釉蟹貼付水鉢』(明治時代)。

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東京国立博物館蔵  国指定重要文化財

初代香山は、大正時代に入ってから、他に2つの同種の作品を製作しています。

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大正3年箱書 源吉兆庵所蔵

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大正5年箱書 田邊先生 眞葛コレクション 渡蟹水盤

つまり、明治時代の一つと、大正時代の二つ、合計3つが存在しているということになります。

( 尚、余談ですが、大正期に製作された渡蟹作品の共箱に「三箇中」との記載があることから、明治製作の作品(東京国立博物館蔵の重要文化財作品)とは別に、大正期に3箇製作されたのではないか、つまり同種の作品は合計4つ存在するのではないか、という説があるようです。

また、田邊コレクションの渡蟹作品の共箱には「応需」との記載があることが、田邊哲人先生著「帝室技芸員 眞葛香山」の中で明らかにされています。 (「応需」とはだれかの求めに応じて作られたという意味です。)







今日からの3日間は、すでに知られている上の3つの蟹とは別のタイプの、新発見の「蟹」作品について記していきたいと思います。

まずは、その前に初代香山の「銘」について書かせて頂きたいと思います。

初代香山は、通常、磁器作品には、花瓶の底等に青い文字(染付け)で銘を記します。

その銘は、時代の変化と共に、その字体を変えていきます。

クレア・ポラード著「MASTER POTTER OF MEIJI JAPAN」を参照しながら説明したいと思います。

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香山が横浜に窯を開いたのが、1871年(明治四年)になります。

箱や史料等から年代が特定できる銘で、横浜で最も初期の銘はこの銘になります。

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この銘は、日本政府が1878年に寄贈したという記録がある作品に使用されていました。

DSC05349.jpg

「造」という字に特徴が見られます。

東京国立博物館の重要文化財指定の蟹作品は1881年(明治14年)に製作されていますから、それよりも少なくても3年前、明治11年にはすでに使用されていた銘ということになります。

この銘はその後見られなくなり、下の写真のような銘に字体を変えていきます。

DSC05351.jpg

DSC05352.jpg

いずれにしましても、史料で時代が確定できる横浜眞葛焼の最初期の銘というのは、この銘になります。

DSC05353.jpg

明日はいよいよ新発見の蟹作品について書かせて頂きたいと思います。

今日もブログを見て頂き、ありがとうございました。

眞葛 博士


p.s. 重要文化財に指定された根拠が、平成14年の文化庁の答申書に示されています。ご参考まで。
「 褐釉蟹貼付台付鉢 宮川香山作 1口

大きさ : 総高36.5㎝、口径39.8㎝底径16.5㎝
所有者 : 独立行政法人国立博物館(東京国立博物館保管)東京都台東区上野公園13-9

明治時代に国内外で最も高い評価を受け、明治29年に帝室技芸員となった陶芸家・宮川香山(1842~1916)の作品である。器形に変化を作り出した台付鉢の体部正面に写実的でほぼ実物大に作り出された大小2匹の渡り蟹を貼り付ける。このような写実的で彫刻的な文様を装飾する陶器は、当時の西欧における日本の工芸品に対する嗜好を取り入れて宮川香山が明治時代初期に独自に創出したものである。本品は宮川香山が有功賞牌一等を受賞した明治14年第2回内国勧業博覧会に出品された作品である。宮川香山の代表作の一つであるとともに、明治時代前半期において製作時期が知られ、博覧会出品歴が関連資料により確実に判明する唯一の作品として極めて貴重である。(明治時代)   」



後日追記: 新発見の蟹作品!



→ 宮川香山 新種の「蟹」発見!  http://kozan.blog.so-net.ne.jp/2009-04-07
makuzu miyagawa kozan 2 (2).jpg
初代宮川香山作 個人蔵 「宮川香山 眞葛ミュージアム」保管



→ 宮川香山 新発見「遺作の蟹細工花瓶」 http://kozan.blog.so-net.ne.jp/2009-04-09
makuzu miyagawa kozan 2 (1).jpg
初代宮川香山作 個人蔵 「宮川香山 眞葛ミュージアム」保管



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jiunnjiunnjiunn

makuzuさん ご訪問&nice!
ありがとうございました。
私は 焼き物について ほとんど知識はありませんが
蟹の作品は とても衝撃的でした。


by jiunnjiunnjiunn (2009-04-07 07:07) 

夏炉冬扇

お早うございます。古民家ぎゃらりぃ畦、ご来訪ありがとうございます。
詳細なご研究の御様子拝見。
またお立ち寄り下さい。
by 夏炉冬扇 (2009-04-07 08:12) 

きらきら星

makuzu さん、ナイスありがとうございました。香山の作品はとてもいいですね。初めて見たとき、発想の面白さと高度な技に仰天。その後折あるごとに目にしていますが、大正の2つのものは知りませんでした。
by きらきら星 (2009-04-07 11:41) 

whitered

makuzuさんへ:ナイスありがとうございました。宮川香山の眞葛焼き、始めて眼にしました。なかなか見事な器ですね。大胆な器に写実的な蟹、まるで本物の渡り蟹が這い登っていきそうな趣向ですね。それにしても、眞葛焼きについてのこれだけの研究は、すごいです。過去のものもまた見させてもらいます。
by whitered (2009-04-07 17:39) 

ぴい

ご訪問ありがとうございました。
この蟹の焼き物、少し前にテレビで見た気がします。
お宝番組だったかな?
by ぴい (2009-04-07 20:44) 

kurohani

nice!ありがとうございました♪眞葛焼、実に摩訶不思議な焼き物ですね。初めて知りました。
by kurohani (2009-04-07 22:19) 

サマー

宮川香山先生について調べており、拝見させていただきました。とても分かりやすく作品の写真も楽しませていただいたのですが、質問があります。
なぜ蟹なのでしょうか?
一時、岡山の虫明におられたことがあるそうなので、それで蟹を好まれたのでしょうか?
教えてくださぃ。
by サマー (2009-05-02 15:26) 

makuzu

サマーさん、こんにちは。
ブログを見て下さって有難うございます。

「なぜ蟹なのか?」
とても興味深い質問です(笑)

結論から申しまして、答えは謎なんです。
まだ解明できていません。

ただ、おそらくこうじゃないか、、、という想像はいくつかできると思います。

(1)虫明起源
サマーさんがおっしゃるとおり、虫明で見た渡り蟹の印象がとても強かったということもあると思います。
真葛ヶ原で育った香山にとって、海、そして渡り蟹はとても新鮮で、興味深いものだったと思います。
虫明では、渡り蟹漁が盛んだったらしく、地元の方の話では、窯の指導に来ていた香山に対し、おもてなしの意味もあり、ほとんど毎日のように渡り蟹を振舞っていたのではないか、、と聞いたことがあります。細工で何かを作るときに、渡り蟹が、ぜひ作ってみたい対象となっていったのかもしれません。

(2)横浜 本牧港
渡り蟹の細工の付いた作品は、横浜に来てから作られました。横浜には、本牧という漁港があり、漁がさかんに行われていました。虫明に一年ほど滞在し、その後京都からすぐに横浜に来た香山。本牧でも渡り蟹がたくさん採れたとのことですから、横浜でまた渡り蟹に再会したのでしょう。そこでさらに興味をもったということも考えられます。

(3)第三者より求められて
当時の陶磁器は、殖産興業、富国強兵という観点からも重要な産業として位置づけられていて、欧米の志向などを分析し、図案などが提示され、その図案に基づいて作品を製作することもよくありました。真葛焼の研究家として、またコレクターとしても有名な田邊先生が所有されている猫の細工のついた作品もそういう図案に基づいて製作された重要な作品だと考えられます。渡り蟹というモチーフも、そのような図案か、第三者からの求めに応じて最初は製作したということも考えられると思います。

と言ったふうにいくつかの可能性が考えられますが、真相は闇の中です。。。

ただ、蟹が有名作になっていますが、初代香山は、蟹以外にもたくさんの細工モノの作品を製作しています。

ネコの細工の作品も多く見かけますし、鳩は鷹などの鳥、そして蛙などの昆虫の細工も多く見かけます。

マスコミなどにたまたま多く登場する作品が、蟹なのですが、むしろ香山の細工の作品の中では、少ない方のバリエーションだと思います。

鳥や昆虫などのほうがむしろ多いと思います。

初代香山の特徴は、身近にいる動植物を、リアルな細工で表現したという点です。

蟹もその中のひとつだったのではないでしょうか。

あまり答えにならずにすいません。

香山は研究すると謎が多い分楽しいです。

ぜひ、なぜ蟹なのか?を調べられて、もし何か判明されましたら、教えて下さったらうれしいです。

ありがとうございました。

眞葛博士
by makuzu (2009-05-02 16:22) 

蓼純(たでじゅん)

サマー様、はじめまして、蓼純(たでじゅん)といいます。
「なぜ蟹なのか?」という御質問のようですが・・・・・
それは、水盤であるということではないでしょうか。
魚だと水盤の外では、死んでしまいますし・・・・・
まさに今、水の中から出たというリアル感を出すのにはカニしかない、と私は思います。
タコでは、水盤がタコツボになってしまいますよね ☆
私は、4/8の花の絵が描かれた磁製花瓶にカニがついているのが判りません。
きっと、真葛香山はカニが好きだったんでしょうね ☆
私・蓼純への質問ではないことはよく判っていますが、GWでヒマなものでついつい横ヤリを入れてしまいました。
お気に触りましたらお許しください。

by 蓼純(たでじゅん) (2009-05-05 13:38) 

眞塩 惠

眞葛 博士 様

横浜市民として、眞葛焼きについて、これほど詳しく教えてくださり、感謝申しあげます。陶芸を趣味としてたしなんでいる従妹とともに、記念館を訪れ、
その作品に触れて感動いたしました。
個人的には、本来の眞葛焼きの手法は当時の外国受けの面が出ていて
後期の作品のほうが落ち着いてとても美しく上品で好きです。
私の祖父は昭和13年に63歳で他界しておりますが、仏画家として、久保山に家族と暮らし、一方、陶工として当時の中区南太田で働いたと聞いて
おります。で、おそらく、この宮川香山先生宅にある時期お世話になったと思います。ただ、輸出用の陶器に絵付けをしたが、品物は保土田様と言う方の店に出していたようですので、どの程度の仕事を眞蔦焼きに関連してしていたものかは確認できません。当時の陶工がどういうお仕事のお手伝いをさせていただいていたのか、眞蔦博士さまがご存知でしたら、教えていただければ幸いです。
敬具

by 眞塩 惠 (2009-10-30 18:46) 

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