宮川香山 晩年立ち上げた「狸亭」ブランド
(横浜市歴史博物館蔵 眞葛焼 狸亭 台帳)
「大正二年 初秋起 」と書かれています。
初代香山は大正5年に亡くなっているので、亡くなる3年前のことになります。
大正3年の香山の様子を、「宮川香山と横浜真葛焼」(二階堂充著)より引用したいと思います。
「大正三年五月二十二日、香山は突然の失明に見舞われた。 (略) 香山の失明状態はほぼ三月に及ぶもので、その間は新聞も読めない状態が続いていたという。 」
「明治四十年から大正三年にかけての香山の様子をこのように眺めてみると、胃潰瘍による大量の吐血と言い、また原因不明の眼疾と言い、香山の最晩年は病との闘いに明け暮れていたように見える。」
「この時期の香山には、ある種の老年に通有な気の弱りのようなものが萌えしていたことも見逃せない。」
しかしながら、このような状態にあっても香山の製作意欲は留まることを知りません。
大正2年、初代香山は新たなラインを立ち上げるのです。
それこそが「狸亭」。
早速、台帳の中味を見てみましょう。
8月16日より製造した作品と価格が全て記帳されています。
「狸の酒徳利」に始まり、「狸の楊枝入れ」などのラインナップが並びます。
「狸の画 湯呑み」などの作品も見られます。
「象の置物」や「小熊の置物」などの記載も見られますが、狸の酒徳利や狸の楊枝入れなど、狸の作品が圧倒的に多く目立ちます。
この作品リストは、同年11月13日「たぬき ごふん仕上げの置物 (2個)」 が最後の作品となっています。
(ごふんとは、白い粉を意味することから、たぬきの置物の部分に白い焼色を使った置物だと思われます。)
以上のことから、初代香山は、晩年の大正2年に「たぬき」をモチーフにした作品のラインを立ち上げ、約3ヶ月というごく短い期間製作を行っていたことがわかります。
この「狸亭」の作品は、眞葛焼の中でも非常に数の少ない、希少な作品群と言ってよいと思います。
このことを知って以来、私眞葛博士は、骨董市などで狸の置物を見るたびに、それが眞葛焼ではないか? 「狸亭」と書いていないか?と作品を探し続けています(笑)
晩年、初代香山によりわずか3ヶ月だけ製造された「狸亭」。
果たして作品は見つかるのでしょうか?
続きは明日のブログで。
今日もブログを見て頂き、ありがとうございました。
眞葛 博士
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