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宮川香山 と 林 忠正 (2)

明治時代、海外で高く評価され、各地の万博で多くの賞を受賞した宮川香山。

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フランスに住み、日本の美術を広め、その芸術性をより理解させることに成功した美術商 林忠正。

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この二人の関係を調査するため、早速文献にあたりました。


1.林忠正とその時代―世紀末のパリと日本美術(ジャポニスム)  木々 康子

浮世絵と印象派を初めて仏日両国に紹介した明治の画商林忠正は、日本の近代絵画の誕生と、日仏文化の交流に大きく貢献した。豊富な新資料によってその生涯を辿り、彼が生きた世紀末のパリをも鮮かに描く書下し評伝。図版多数。 (「BOOK」データベースより)

2.『林忠正宛書簡集』 木々 康子, 高頭 麻子

19世紀末パリで美術店を開き、日本美術をフランスに、印象派を日本に紹介した林忠正。林宛書簡と彼の意見書、フランスでの講演などを収録。国書刊行会2001年刊仏語版「林忠正宛書簡集」の翻訳を主体とした資料集。 (「MARC」データベースより)

特にこの書簡集はとても興味深い書簡が多くのっており、しばし香山のことを忘れて読み入ってしまいました。

とてもお勧めの文献ですので、その書評を木々康子さんのホームページから引用させて頂きます。



「林宛の手紙からは細やかな客あしらいと誠実な商法によって、パリの人々の信頼と友情、尊敬までも集めていた忠正の姿が浮び上ってくる。

 忠正は「浮世絵を売って巨万の富を築いた」と言われていたが、絶えず資金難に苦しみ、1900年に博覧会事務官長を引き受けたあとは、破綻状態だった。それでも、事務官長の給与は一銭も受け取らなかったという。跡を継がせた末弟の悲劇的な死や、帰国後間もない病気の林に寄せられた、パリの友人からの真情溢れる手紙は涙を誘う。

 意見書類は、旧態依然として、目覚めることのない故国への、痛烈な批判である。万国博覧会への上申書では、後進国としか言いようのない、参加国日本の実情が語られる。万国博覧会研究者には、必見の証言。

 ドイツ人の親友エルンスト・グロッセ博士からの大量の手紙には、日露戦争の戦況に一喜一憂する有様や、ヨーロッパの黄禍論の中に生きる忠正の苦悩までも読み取れる。

 彼が売った日本美術工芸品や浮世絵、彼が買った印象派の絵画などが明確に記録されている本書は、日本の近代美術史、近代史にとっても貴重な資料である。」(http://homepage3.nifty.com/kigiyasuko/list.html



ところで、これら林忠正に関する研究書を多くかかれている木々康子さんとは、どのような方なのでしょうか。

実は、林忠正さんの子孫の方だったのです。

私は、香山と林忠正の関係について、もっと詳しく知りたいと思い、これらの本の著者 木々康子さんにお手紙を書かせて頂きました。

すると木々さんより、思いがけないご返事を頂けたのです!

続きは、明日のブログで。


今日もブログを見て頂き、ありがとうございました。

真葛 博士 (マクズ ヒロシ)
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