宮川香山 と 林 忠正
みなさんは、林忠正という人物をご存知でしょうか。
林は、明治11年(1878)のパリ万国博覧会に際し、貿易会社「起立商工社」の通訳としてフランスへ赴きました。
そして万博終了後もそのままパリに残り、現地で日本の美術品を扱う美術商となった方です。
ジャポニスムブームの中、現地で日本の美術品の芸術性を高めることに成功した人物としても有名です。
http://www.tym.ed.jp/kokusai/yukari/hayasi.html (参考:富山県教育委員会のホームページ)
当時の香山のインタビュー記事にもその名前がでてきます。
「私が製作したものの中では、先年巴里の博覧会へ出品した六尺の花瓶一対が一番大作であった、
上の方は梯子を掛けてやり下の方は寝て居て模様を描いた、
刷毛で水をひくにも大きいから一方をやれば一方が乾く、
しかし私一人で作り上げた、
博覧会では大賞をくれたし、一万ドルでぜひかいたしと申し込まれたが、故林忠正さんが、こういう大きいものは是非共日本におきたいといって、どうしても聞かないで、遂に持って帰られた、
今サムライ商会においてある」(美術新報 第二百四号)
この花瓶のことは、以前のブログで書かせて頂きましたね。http://kozan.blog.so-net.ne.jp/2008-07-06-1
また、香山と林の関わりは、シカゴ万博について書かれた他の文献においても確認できます。
「その展示は、さながら、宮川香山(横浜の真葛)と竹本隼太(東京)の目を見張るような成功を示すものであった。
前者は83番から189番までの、様々な形をした一まとまりの作品群を展示しているが、そのほとんどは東京の鑑定家林忠正によって出品されたものである。
真葛のこれらの作品は公衆の心をすっかり奪ってしまった。
というのも、それらの作品の価格は日本での5倍から6倍というものであったにもかかわらずそのほとんどに「売約済み」の札が貼られたからである。
百点セットの林コレクションに対して与えられたメダルとは別に、宮川氏はもう四つのメダルを獲得した。」(ジャパン・ウィークリー・メール 明治27年1月13日 原文英文)
美術商であった林は、真葛焼の100点セットという作品を出品し、見事メダルを得たと書かれています。
日本の浮世絵を西洋に広めたことでも知られる林ですが、商業的に手を抜いて大量生産されたような商品には興味を示さず、本物の芸術性の高い商品を好んで扱ったと伝わります。
上記2つの文献資料から判断しても、林が真葛焼を「芸術性の高い、日本の美術品」として評価し扱っていたと思われます。
林と香山との間には、深い交流があったのだと思います。
実はそれを示す証拠を思わぬ形で確認することができたのです。
続きは明日のブログで。。。
今日もブログを見て頂き、ありがとうございました。
真葛 博士 (マクズ ヒロシ)
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