宮川香山紀行 虫明 (4)
一度は、虫明を後にし、牛窓を経て横浜へ戻ろうとするものの、もう一度だけ虫明に戻りたくなりました。
理由はあまりなく、ただ直感的に、もう一度虫明に戻ろう!そう思ったのです。
車を飛ばし、思ったよりも早く虫明に戻ることができました。
日本のエーゲ海といわれる牛窓と同じくらい美しい虫明の湾です。
波も穏やかで風もほとんどありません。
夕暮れ時になってきました。
香山の窯の跡地、立場窯は、昼の姿とはまた一味違う静寂につつまれています。
香山が虫明で、より強く輝かせた虫明焼の灯は、森香洲に引き継がれました。
その灯は、森香洲から、さらに現在まで引き継がれ、いまもこの虫明で光続けているのです。
最後に虫明の港によってから、横浜に戻ろうと、車に乗り込みました。
ナビを見ながら、虫明の港の方角へ車を走らせましたが、港に近づくにつれて、道が本当にせまくなり、片側一車線で車一台がやっとの道幅になります。
このまま進むと、さらに道幅がせまくなりそうなので、右折したり、左折したり、半ば道に迷いながら、港の方向へ車を走らせたそのとき、目の前に一軒のスーパーの灯が飛び込みました。
辺りは、すっかり暗くなってましたが、閉店仕度をしているスーパーの明かりでした。
スーパーのおかあさんが、果物の箱などを片付けています。
ふとそのお店の看板を見ると、「森 STORE」とあります。
森???
先程、I さんから、「森香洲さんの子孫は、今も虫明に住んでいてお店をやっているんじゃ」と聞いたことを思い出しました。
もしかして、、、!!
そう思ったら、もう話かけられずにはいられません(笑)
すぐに車から降りて、「突然、大変失礼なのですが、このお店は、森香洲さんの子孫の方がやっているお店でしょうか?」と聞いてしまいました。
この行動力、我ながら、異常ですね(笑)
あまりの突然の質問にスーパーのおかあさんも、びっくりしています。
「私、宮川香山に魅せられて、研究している者なんですが、横浜から来たんです。
さきほど、I さんのお宅で、森香洲さんの作品を見せてもらったり、器でお茶をご馳走になったりしてきたんです。
車で本当に偶然通りがかったら、森ストア という看板を見つけたので、もしかしたら、森香洲さんの子孫の方のお店かと思い、質問してしまいました。すいません。。。」
と説明すると、にこっとされ、
「そうです。森です。森香洲の家です(笑)」と答えが返ってきました。
もし、僕が、牛窓からもう一度虫明に戻ってこなければ、この出会いはありませんでした。
もし、僕が、最後に港の方に車を走らせようと、道に迷わなければこの出会いはありませんでした。
それから、5分ほど立ち話をさせて頂きました。
突然にも関わらず、とても優しく応対してくださいました。
辺りはすでに真っ暗になっていました。閉店の準備をこれ以上邪魔してはいけないと、
「宮川香山の最も古い弟子である森香洲さんの家の方にお会いできて本当に光栄でした!
虫明でまたもうひとつ良い思いでができました。ありがとうございます!」と伝え車に乗り込もうとすると、「ちょっと待って、、、」と、お店からすごくおいしいそうな桃を二つ持ってきてくれました。
「岡山の桃でおいしいですから、どうぞ。帰りは気をつけてくださいね」と、桃を二つくれたのです。
森家から頂く桃は、なんだか、森香洲さんから頂けたようで、最高にうれしいお土産でした。
こうして、虫明の旅は終わりました。
最後に桂又三郎著の「備前虫明焼」からの引用で「宮川香山紀行 虫明編」を終わりたいと思います。
「さて、真葛宮川香山と虫明焼との関係であるが、虫明焼にとって、真葛と三猿斎を省いては、第一虫明焼そのものの意味がない。それほど重要な関係をもっているし、またこんにち、虫明焼が日本的に知られたことも、一つに真葛の功績であるから、虫明焼としては非常な恩人といわねばならぬ。」
「香州は真葛に徹頭徹尾世話になっている。また真葛も香洲に対して終始よく世話をしている。世間一般の師弟の間柄といったようなものでなく、親子以上の愛情があったと思われる。」
虫明編、おつきあいありがとうございました。
理由はあまりなく、ただ直感的に、もう一度虫明に戻ろう!そう思ったのです。
車を飛ばし、思ったよりも早く虫明に戻ることができました。
日本のエーゲ海といわれる牛窓と同じくらい美しい虫明の湾です。
波も穏やかで風もほとんどありません。
夕暮れ時になってきました。
香山の窯の跡地、立場窯は、昼の姿とはまた一味違う静寂につつまれています。
香山が虫明で、より強く輝かせた虫明焼の灯は、森香洲に引き継がれました。
その灯は、森香洲から、さらに現在まで引き継がれ、いまもこの虫明で光続けているのです。
最後に虫明の港によってから、横浜に戻ろうと、車に乗り込みました。
ナビを見ながら、虫明の港の方角へ車を走らせましたが、港に近づくにつれて、道が本当にせまくなり、片側一車線で車一台がやっとの道幅になります。
このまま進むと、さらに道幅がせまくなりそうなので、右折したり、左折したり、半ば道に迷いながら、港の方向へ車を走らせたそのとき、目の前に一軒のスーパーの灯が飛び込みました。
辺りは、すっかり暗くなってましたが、閉店仕度をしているスーパーの明かりでした。
スーパーのおかあさんが、果物の箱などを片付けています。
ふとそのお店の看板を見ると、「森 STORE」とあります。
森???
先程、I さんから、「森香洲さんの子孫は、今も虫明に住んでいてお店をやっているんじゃ」と聞いたことを思い出しました。
もしかして、、、!!
そう思ったら、もう話かけられずにはいられません(笑)
すぐに車から降りて、「突然、大変失礼なのですが、このお店は、森香洲さんの子孫の方がやっているお店でしょうか?」と聞いてしまいました。
この行動力、我ながら、異常ですね(笑)
あまりの突然の質問にスーパーのおかあさんも、びっくりしています。
「私、宮川香山に魅せられて、研究している者なんですが、横浜から来たんです。
さきほど、I さんのお宅で、森香洲さんの作品を見せてもらったり、器でお茶をご馳走になったりしてきたんです。
車で本当に偶然通りがかったら、森ストア という看板を見つけたので、もしかしたら、森香洲さんの子孫の方のお店かと思い、質問してしまいました。すいません。。。」
と説明すると、にこっとされ、
「そうです。森です。森香洲の家です(笑)」と答えが返ってきました。
もし、僕が、牛窓からもう一度虫明に戻ってこなければ、この出会いはありませんでした。
もし、僕が、最後に港の方に車を走らせようと、道に迷わなければこの出会いはありませんでした。
それから、5分ほど立ち話をさせて頂きました。
突然にも関わらず、とても優しく応対してくださいました。
辺りはすでに真っ暗になっていました。閉店の準備をこれ以上邪魔してはいけないと、
「宮川香山の最も古い弟子である森香洲さんの家の方にお会いできて本当に光栄でした!
虫明でまたもうひとつ良い思いでができました。ありがとうございます!」と伝え車に乗り込もうとすると、「ちょっと待って、、、」と、お店からすごくおいしいそうな桃を二つ持ってきてくれました。
「岡山の桃でおいしいですから、どうぞ。帰りは気をつけてくださいね」と、桃を二つくれたのです。
森家から頂く桃は、なんだか、森香洲さんから頂けたようで、最高にうれしいお土産でした。
こうして、虫明の旅は終わりました。
最後に桂又三郎著の「備前虫明焼」からの引用で「宮川香山紀行 虫明編」を終わりたいと思います。
「さて、真葛宮川香山と虫明焼との関係であるが、虫明焼にとって、真葛と三猿斎を省いては、第一虫明焼そのものの意味がない。それほど重要な関係をもっているし、またこんにち、虫明焼が日本的に知られたことも、一つに真葛の功績であるから、虫明焼としては非常な恩人といわねばならぬ。」
「香州は真葛に徹頭徹尾世話になっている。また真葛も香洲に対して終始よく世話をしている。世間一般の師弟の間柄といったようなものでなく、親子以上の愛情があったと思われる。」
虫明編、おつきあいありがとうございました。
横浜へ帰ったんじゃなあー
虫明は、すげえ田舎じゃったろー
長旅、お疲れ様でございました。
岡山弁も少しなれましたか。
虫明に、虫明焼に、好感を持ってくれた人が一人でも、増えたことを喜んでいます。
私・蓼純もmakuzu様のバイタリテイーの十分の一でもあったらなと思っています。
それでは、また香山ブログ見せていただきます。
by 蓼純(たでじゅん) (2008-08-14 09:12)
そうじゃあー。
横浜に帰ったんじゃー。(笑)
蓼純さん、再びコメントありがとうございました。
虫明最高でした!
穏やかな海も、自然も最高でした。
しっかりと伝統を引き継いでいる虫明焼、最高です!
備前でありながら、清風や真葛など京焼の名工の指導を受け、独特の味を持っている虫明焼はもっともっと評価されるべきだと思いました。
私も、蓼純さんの今後の更新を楽しみにしています。
虫明も香山も最高じゃん!(変な横浜弁になってしまいました。。笑)
by makuzu (2008-08-14 17:22)