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宮川香山 と 月谷焼

宮川香山の弟子に、月谷初子 という女流「陶芸家」がいます。

makuzu tsuki.jpg
「木彫家 後藤白童」ホームページより

彼女は、十二歳のとき洋風彫刻の小倉惣次郎に入門、後にイタリア人彫刻家 ラグーザからも彫刻を学びます。

そして明治二十九年 東京上野 彫工会展 銅牌をかわきりに次々に受賞を重ねます。

「彫刻家」として将来を約束されていた彼女ですが、明治32年突然公の場から姿を消します。

彼女はパトロンであった男性から逃れ、心の底から愛した男性とかけおちをしたのでした。

それは、パトロンの追跡の目が光る「彫刻界」から去ることを意味していました。

相手の男性が病弱だったこともあり、彼女が職を探し、パトロンの目から逃れながら、生きていくことはとても難しいことでした。

それを救った人間、それが 宮川香山 なのです!!
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彼女は素晴らしい彫刻の腕を持っていました。彼女は、真葛窯なら自分の彫刻の腕を発揮しながら、陶芸も学べるかもしれない と、宮川香山に、自分たちをかくまってもらいながら、弟子入りすることを願い出ます。

普通の人間なら、そんな訳ありの二人を匿うことは、後々の問題などを考えて断るでしょう。しかし香山は違いました。

二人に住む場所を与え、月谷初子を弟子にしたのです!!

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眞葛博士蔵 ハーパーズウィークリー紙より

香山の作品の中に、木彫り風の像や、獅子の置物などがありますが、イタリア人彫刻家に学んだ月谷の影響を強く感じる作品がいくつか残されています。

二人は後に、真葛窯を離れ、おそらく日本初の女流陶芸家として、忍焼や月谷焼を起こします。

http://www1.ocn.ne.jp/~hakudo/tukitani.htm

http://www.umakato.jp/archive/bookreview/vol15.html

http://blog.goo.ne.jp/kottou-muromati/s/%B7%EE%C3%AB

寛大な心をもち、月谷を弟子に受け入れた香山。

真葛窯には月谷のように、多くの腕のたつ弟子が他にも大勢いたそうです。


p.s. ラグーザは日本政府が招聘した彫刻家で、写実彫刻を教えていました。
   
   ラグーザの作品は、http://db.am.geidai.ac.jp/person.cgi?id=3766

   で多くみることができます。

今日もブログを見ていただきありがとうございました!
















 
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